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【ブログ】お茶屋が伝えたい急須のおはなし(その2)

こんにちは。八王子の日本茶専門店・網代園です。

今回は、昨年好評だった急須のおはなしの続き。
急須の歴史について、ご紹介していきます。

 

  

急須のルーツは?

急須のルーツは諸説あるようですが、
デザインの元と考えられているのは
中国から伝わった急焼(きびしょ・きびしょう)という道具。

注ぎ口の横に棒状の持ち手をついた形状で、
酒や湯を温めるために使われてました。
いわゆる湯沸かし器、ですね。

一般に、中国茶や台湾茶を淹れるときは
茶壺(チャーフー)と呼ばれる別の茶器を用います。
紅茶の場合は、ティーポットを使うのが主流。
どちらの茶器も、持ち手は後ろについています。

急須のように、横手タイプの茶器を使う習慣は
他国にはあまり見られない文化のようですね。

 

  

どうやって日本の急須が生まれたの?

皆さまがイメージする日本茶(煎茶)の製法が確立するのは
江戸時代中ごろのこと。

その煎茶の祖と呼ばれているのが、売茶翁(ばいさおう)です。
彼は黄檗宗の僧として50年近く修行を積んだ後、
還俗し、京都の市中で煎茶を売り歩きました。
このとき、本来は湯沸かし器である急焼を
茶注ぎの代わりに使用したといわれています。

煎茶の澄んだ緑色は、特に文人たちの間で愛好され
茶器を使って茶を淹れるという方法が普及していきました。

国産の茶器づくりが始まると、内部には茶こし(網)がつき、
畳へ正座したとき、茶が注ぎやすいよう持ち手の角度を変えるなどの工夫を重ね
現代に通じる日本固有の横手型茶器、「急須」が生まれます。

 

  

急須が普及していったのはいつごろ?

江戸時代に誕生した独自の煎茶文化。
しかしながら、明治、大正、そして戦後と
日本茶は長い間、重要な輸出品として位置付けられていました。

そのため、庶民が飲むお茶は自家製のものがほとんど。
自分の畑の畦(あぜ)に植えた茶の樹を刈り取り、乾燥させてつくった番茶を
ヤカンや土瓶を使って煮出すという手法が一般的だったそうです。

一般家庭に急須が普及し始めるのは、高度経済成長期の昭和30年代ごろ。
卓上用の魔法瓶が登場したことで、いつでも熱いお湯が使えるようになり
日本人の茶器が、大ぶりのヤカンや土瓶から、小ぶりの急須へと変化していったのです。

  

 

まとめ


日本人の歴史とともに歩んできた急須。

技術が詰まった伝統工芸品であると同時に、
私たちの日常にそっと寄り添ってくれる急須の魅力を
今後も伝えていけたらと思います。

それでは皆さま、すてきなお茶時間を。