お知らせ・店主ブログ
【ブログ】茶処のおはなし
こんにちは。八王子の日本茶専門店・網代園です。
全国各地で生産されている日本茶。
今回は中でも、鎌倉時代から続く茶処(ちゃどころ)
静岡・宇治・狭山の歴史についてご紹介します。
静岡茶の歴史
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茶葉の国内生産量トップを誇る静岡県。
鎌倉時代の僧である聖一国師(しょういちこくし)が
当時の中国・宋から持ち帰った茶の種を
現在の静岡市足久保に播いたことが起源とされています。
江戸時代中ごろまでは、主に碾茶(てんちゃ※抹茶の原料)が生産され
駿府城に隠居した徳川家康公も愛飲したことで有名。
その後、京都で生まれた煎茶が伝わると、さらに茶の需要が高まり
清水港から外国への輸出も盛んとなりました。
明治以降は、大政奉還により職を失った幕臣たちが刀を捨て、
当時“不毛の地”と呼ばれた牧之原へ、茶畑を開墾することを決断。
彼らの努力により、牧之原台地は日本一の製茶拠点へと発展しました。
今では一般的になった「深蒸し茶」が生まれたのも、この地なんだとか。
牧之原のほか、富士山麓、安倍川・大井川流域の山間部など
県内の生産地は20を超えるそうです。
宇治茶の歴史
![](https://www.ajiroen.jp/wp-content/uploads/2023/08/2672490_s.jpg)
京都・栂尾(とがのお)山の高山寺は、
日本茶発祥の地といわれています。
臨済宗の開祖・栄西(ようさい)より
茶の種を譲り受けた明恵上人(みょうえしょうにん)が
日本初の茶園を開いたのがはじまり。
栂尾産の茶は天皇に献上されるほど良質だったことから
宇治をはじめとする周辺地域へ、生産が広がっていきました。
当時政治の中心であった京都に住む貴族・武家を中心に、
お茶を用いたゲーム(闘茶・茶歌舞伎など)も流行。
有名な茶人・千利休が発展させた茶の湯文化も、
日本茶が普及していく大きなきっかけとなったことでしょう。
宇治では、天下人・豊臣秀吉らの庇護を受けながら
茶園に覆いをかけて育てる「覆下(おおいした)栽培」を開始。
旨みを存分に引き出した葉は、現在も抹茶や玉露用に重宝しています。
また江戸時代後期、宇治出身の永谷宗円(ながたにそうえん)が
「蒸し煎茶製法」を発明し、これも宇治茶の盛業へ貢献しました。
ちなみに、宇治茶の産地は市内に限らず
京都の他地域、奈良、滋賀、三重などでも生産が行われています。
狭山茶の歴史
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狭山茶のはじまりは、
川越の僧・慈覚大師 円仁(じかくだいし えんにん)が伝えた
高山寺の明恵上人が武蔵河越の地に栽植した
など、いくつか説があるようです。
南北朝時代、現在の京都・静岡などと並び
五大銘茶場のひとつに数えられた武蔵河越。
戦国時代の混乱によって一時は衰退しますが
江戸時代後期、永谷宗円考案の蒸し煎茶が伝わると、
現在の狭山茶につながるお茶づくりが復興していきます。
狭山地域は、茶生産の経済的北限ともいわれます。
寒さに耐えるべく、厚く育った葉肉にしっかり火を通すため
通常よりも高温での火入れが行われていました。
この仕上げ技法を「狭山火入れ」といい、
火香豊かな味わいは、狭山茶独自の魅力です。
主な産地は、県西部の入間市、所沢市、狭山市を中心とする狭山丘陵地域。
気候などの条件から年2回ほどしか摘採されず、流通量は多くありませんが
質にこだわった生産が続けられています。
まとめ
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ざっくりとしたご紹介になってしまいましたが、
いかがでしたでしょうか。
機会があれば、他の茶処の歴史も調べたいと思っています。
ぜひお楽しみに。
それでは皆さま、すてきなお茶時間を。